備忘録です

#1 ハヌマーンに苦しみを預けていたころ

ハヌマーンというバンドが好きです。

もっと言うと大学3年生の時、大好きだった。

 

リボルバー

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学部生の頃、軽音サークルの先輩が貸してくれたUSBのなかにいっぱい入ってたバンドの一つだった。

わたしが知った時にはもう解散してたし、新曲も増えるわけないから、3枚くらいのアルバムをずっと聴いていた。

Googleで検索したら、髪の長いひょろっとしたお兄さんの画像がいっぱい出てきた。

キラキラしたバンドマンとはなんか違う感じ。じめっとした感じにちょっと安心した記憶がある。

 

ハヌマーンの曲がどれだけ素敵で、

わたしがどれだけその歌詞に震えて、生活の中に散りばめまくったかという話は、

また別の時にしたいな。

今日久しぶりに聴いて、バスで涙が出そうになった。

 

自分のためのバンド、自分のための曲と歌詞だと本気で思っていた。

代弁してくれてるとかも超えて、わたしのことだと思って聴いていた。

サークルの人とか、周りには多分おんなじこと考えてる人はいっぱいいたんじゃないかと思う。

 

もともと、過去のどうにもならないことを振り返っているような曲が好きだった。

どうにもならないのに前を向ききれなくて、いつまでも自分だけ昔を生きている。

そんな自分にすごく苦しめられてる一方で、ずっとその嫌な思い出から抜け出そうともしない。

辛い自分が好きって感じ、それはそれですごくうっとりする体験だし、次また同じ目にあったらって考える方が怖いもんね。

 

フロントマンの山田亮一の気持ちを勝手に想像して、勝手に自分に重ねていた。

彼が色んなものに対して感じる疑問とか苛立ちとか、悲しみとか焦りとか、

そういうものはきっとわたしには分からないくらい繊細だったり、難しいものなんだろうな、

ずっと何かを求めてもがいてたのかなって考えながらハヌマーンの曲を聞くのが好きだった。

 

傷口がむき出しになっていて、触っちゃダメって分かってるのに

そろりと触ってしまう感じ。

自分の内面に対してもそんな感じだし、勝手に想像した山田亮一の内面にもそんな感じで触れようとしていた。

 

彼がわたしみたいに、悩むことに気持ちよさを覚えてたかどうかは分からないけど、

ずっと何かを探してるけど、ずっとどこにも辿り着けなさそうな、そんなところが好きだった。

というか、わたしは山田亮一にずっとそのままどこにも行き着かないでいてほしいと思っていた。すごく勝手だけど。

 

彼に対して思ってたことを振り返りながら、

豊島ミホの『底辺女子高生』に出てきた「先輩」の話を思い出した。

保健室によく来ていた儚げな男子。「俺、すぐ死ぬと思うんだよね」みたいなことを言っちゃうし、本当に消えそうな感じだった先輩。

だけどその先輩は、高校卒業後に死ぬどころか、

よく日に焼けたがっちりしたお兄さんになってて、眩しい笑顔で写真に写ってたってお話。

 

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山田亮一にそんなふうになってほしくないなって思っていたんだと思う。

一時の悩み、あんなこともあったね、みたいな感じで思い出として流したり、消費してほしくないと思う身勝手な願望だ。

 

あんなに時間を使って、あんなに辛い思いをして、あんなに何もかも嫌いになったのに、

元気になっちゃったら、その頃の自分ごといなくなっちゃうんじゃないかって気持ちが強かった。

山田亮一が急に元気になって、悩み事なんかないって感じになっちゃったら、

彼に共鳴したつもりになって縋っていたわたしまで消えちゃいそうだったから。

本当に勝手!

 

わたしが大好きになった時には

すでにハヌマーンは解散していて、

山田亮一はまた別のバンドをやっていた。

冴えない学生のお兄ちゃんみたいだったはずが、

なんかアフロになってるしびっくりした。

 

見た目こそガラッと変わっていたけど、

中身はわたしが死ぬほど聴いてたハヌマーンの頃と重なる部分があった。

年をとって、いろんなことがあって、

彼が考えることも変わったのかもしれない。

でもやっぱり綺麗さっぱり悩み事が消えたのではなくて、

また別のことに苦しんだり、喜んだりしているんだろうなという変化だった。

 

ハイエースの車窓から

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悩んでてほしいなんて勝手なことを言ってるけど、

もちろんできるなら元気でいてほしいよ。

でもわたしが好きだった山田亮一もそこにずっといてほしい。

そういう年の取り方、過ごし方もあるんだって思わせてほしい。

 

全然具体的にはわからないけど、漠然と自分はずっと子供だなと思っているし、大人になりたいなって今でも思っている。成人しても、進学しても、その部分は何も変わらなかった。

大人になりきれなさ故に苦しんでるけど、そんな自分がしっくりきている部分もある。

大人になるにはその心地よさを失わなきゃいけないジレンマもあって結局ずっと動かないまま過ごしている。

 

そもそも大人とか子供って結局なんやねんというところを飛ばして考えているから、ずっとわかんないんだよね。

最近気づいたけど、多分みんなそんな明確に言語化できるほど、全てのことに意味を見出せてないよね。

全部言葉で説明できなくても、そんなに気にしてないし、流しながら生きている様子。

なんでも「その定義は?」みたいな、変に意識高いやつみたいな考え方しちゃうのはそろそろ控えたいところです。

 

何にでも「これだ」って具体化できる答えがあると思ってる、いずれゴールがあってそこに辿り着くルートの途中にいると思ってる。

わたしは、自分のこの考え方にずっと苦しめられてきた。

今辛いのは「ふつう」じゃなくて、いつか「ふつう」に戻る日が来るんだ。しかもその変化には自分は絶対気づけるって前提も付いてた。

朝起きたら急に、昨日までの悩みが綺麗さっぱりなくなってる!みたいな妄想を何回もしたよ。

 

そんな風に、いつかこの苦しみもなくなる、って思えていた時の方が良かったかも。

だんだんそんなにスパッと解決できる事ばかりじゃないってことに気づき始めてからの方が苦しい。

もうその事実から逃れられないくらいの場所にいるけど、わたしはまだ頑張ってうっとりしてます。